真実の講道館柔道!!@三河版
1投稿者:参州武道家  投稿日:2001/10/12(金)22:20:29

             八 天 春
             幡 照 日
             大 皇 大
             菩 大 明
             薩 神 神
                宮


「柔道(やわら)を極めたければ古流をやれ」
これが講道館柔道の創立者嘉納治五郎の遺言でした。
すでに彼は大正年間に「今の講道館柔道は私の講道館柔道ではない」
という発言をしていました。
そもそも講道館柔道はもともと柔術の一派として旗揚げして
出発したことは知る人ぞ知る事実であり、講道館の道場開きには
各流派からお祝いにかけつけたことが記録に残されています。

さて、古流柔術というとなにやらもっぱら形ばかりを行って
いる伝統舞踊のような印象を受けますが、じつは形と並行して
乱捕りを行っていた流派は多いのです。
これは現在考えられている以上に江戸時代から各流派は交流が
あったためであり、異流派間でも当身を禁止した乱捕りは
よく行われれていたのです。

さて嘉納流であるが、当初は他の流派と同じく乱捕りと並行して
形の修練も行われていた。すなわち古式の形、極めの形、柔の形、
剛柔の形などである。
また、嘉納流の門人達がそれぞれ古流をも極めたつわものたちで
あったことも有名な事実である(講道館四天王など)

しかし、やがて嘉納流はその売りでもあった合理的な修行法と
それに伴う大衆化によって、もっぱら乱捕りのみを行うように
なっていったのである。それに反発する形で各古流諸派は形の
保存を強調し、今のように乱捕りの講道館、形の古流柔術の
構図ができあがったのであった。

さて、このように乱捕り競技におもきを置いた講道館柔道であるが、
それでも講道館は柔道が「武道」であることを忘れてはいない。
しかし、現在ここにこの柔道から武道を抜き去り骨抜きにしようと
企む勢力がいる。即ち、国際柔道連盟(本部韓国ソウル)である。
現在、講道館は「武道」を守るために敢然と国際柔道連盟に立ち向かっている。
みなさん、日本の武道を守る講道館に励ましのレスを!
そして、柔道のより一層の武道化への叱咤激励をお願いいたします。

(参考)武道板@2ちゃんねる 真実の講道館柔道
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/budou/1001077827/l50 [そーす]
45投稿者:転覆3  投稿日:2002/04/14(日)07:43:44
>>3
高専柔道は古流や合気道とは逆で嘉納先生からは疎まれた存在でしょう。
あのように手段を選ばず勝負にこだわるスポーツ的な考えではね。
46投稿者:転覆3  投稿日:2002/04/14(日)09:04:58
>44の日本柔道史よりさん
>大正初年頃はこの傾向のもっとも著しい時代で試合は立技、立技は大技
>ということが通年となり、試合に臨んで寝技など用いようものなら
>「穢い穢い」
>と口を極めて嘲罵されるということになった。

この辺も立ち技中心であった古流への懐古の一環でしょう。
47投稿者:名捨て人  投稿日:2003/05/31(土)19:24:29
この率角を近代になり復興、普及させたのが清末の軍人馬良である。
日本人教官を招いてつくられた北洋武備学堂に学んだこともあった
彼は日本の柔道のようにこの清朝伝統の武術を軍事武術と生かしたいと考えていた。
そこで柔道に習い、率角を新たに近代的なもに改良し普及させたのである。
たとえば柔道のように受身技をとりいれたことにより、この競技による
負傷者を大幅に減らしたことがわかっている。「中華新武術 率角科上編」

また、1911年の一時期この率角の教材は『柔術教範』と名づけられていた。
(「柔術」とは言うまでもなく日本の武術用語である。)

このように北方騎馬民族によって中国にもたらされた格闘技が日本
柔道の影響を受け近代になって編成されたのが現在の率角(?角)なのである
48投稿者:梶原ひいき  投稿日:2003/09/20(土)21:58:04
警察、自衛隊はスポーツである柔道を習うより、より実践的な殺人業、古流柔術(戦国期までは「相撲」といったそうな。もちろんいまの大相撲とは9割方異なるもの!)この「相撲」を教習すれば、実戦により役立つというものだ。何しろ警察も自衛隊も、「実戦」が仕事なんだしね。ほんと!!
49投稿者:名捨て人  投稿日:2008/08/30(土)22:15:19
不遷流の田辺師範が開発した
「足絡み」という技はかなり強力な技だったようですね。
50投稿者:名捨て人@いっ、ぃくいくぅぅ19年目  投稿日:2018/12/11(火)07:22:32
山嵐の正体は恐らく通常とは逆回転で腕の下に潜り込み肘関節を極めながら足を蹴り上げて投げてたと確信してる
これなら背の低さも有利になるし裸の相手にも掛けれたり一度体勢に入れば防ぐのが難しかったり頸椎から落とすとか数々の記述にも合点がいく
今やったら反則だし当時としてもエグイ技だったんで意図的に逆回りの事を隠してる感じがする
天狗投げも似たような理由で詳しくは残ってないが恐らく膝の上に叩きつけるバックブリーカーか投げと同時に肘を叩きつける半分投げで半分当身のような技だったと推測
詳しい形が残ってないのは決まったやり方ではなく臨機応変に掛ける技の為伝承されず又残酷な技だったと予想
唯一残ってる骨身に沁みるとか受け身がとれないとかが根拠で原型が天狗勝と言う事もその理由でもし一部で言われるように肩車なら受け身はとれるし骨身に沁みるのとはちょっと違う感じがする
どっちもろくでもないエグイ技だったのは想像出来るしそこにロマンなんぞ無いな
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